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Forest Instructor Association of Japan

「明治伐木運材図絵」を通して明治の山仕事を読む2

執筆:羽鳥孝明氏(東京5-0145)

「明治伐木運材図絵」を通して

 
図1 伐倒の図
 
図2 詞書き
 樵は半農なれど一種の職人なのである
用木をいためぬよう 自分達が怪我せぬよう しかも出しの便をも考へて伐り倒すには長い経験を要するのである


 詞書きから、「樵」は広義に山で仕事をする人でよいと思うのですが、この画に限ると伐倒と出材を表しています。次の画に出てくる「杣」「木挽」は含まれていないようです。東京の西多摩の旧五日市町深沢の方などは「ヒヨウ」と言っていました。「キコリ」という言葉は実は聞書の中で聞いたことはありませんでした。いろいろな地域ではなんといっていたのでしょうか?「出しの便をも考へ」考えして、どちらに木を倒すか考えます。次の出材が頭に入っていないとできない作業とあります。「半農」だけど「一種の職人」で「長い経験を要する」とその技術・技が誰でもできる物ではないという尊敬の念が表れています。「半農」というのは、農閑期に雇われてこのような作業に従事するということです。では専業の「山の作業夫」がいなかったかというと、村にはいないと言うことだと思います。特殊な技術を必要とした人がいますので、その人達は他の地域から雇われてくる場合もあります。江戸時代には木曽や飛騨、越後や野州からの専門職の人が来たようです。その人達の技術が少しずつ地元の人の技術になっていきました。また、その人達の中で地元に根付いた(結婚した)人もいました。このような流れは多くの地域であったのではないかと思われています。そして、少しずついろいろな技が地元に根付いていったのでしょう。

 「自分達が怪我せぬよう」と、当然怪我には気をつけます。山仕事はどれをとっても怪我と隣り合わせなので、いかに怪我をしないかということを、そのような肉体(の智恵)に育て上げるかが大事なことでした。危険に近い状態が、もっともうまく運ぶという仕事でもありました。安全は自分で守ることでもありました。そのための肉体をどう育て上げたかは解りませんが、安全第一の現在では理解ができない技の数々がそこにはありました。多くの人の死・怪我を見ながら、肉体の知恵を育てあげていきました。当時は労災などの保険などがありませんから、見舞金をもらう程度が、当時の仕事には当たり前の労働環境でした。
 
 さて画ですが、ちょっと違和感がありませんか。現在こんな作業現場があったら危険極まりありませんね。作業の人が近づきすぎですよね。作業をしたことがないからこんな画になったことだと思うかもしれません。だが、この作者の画には、一枚の画の中にいろいろな場面がてんこ盛り(多くの情報が描かれている)になっているので、部分部分を丁寧に見ていかないと「なんだこりゃ?」で終わってしまいます。当然作者の記憶違いもあるので、気をつけないといけませんが。
 
 画の左側(左下を除く)の三人は鋸を持っていて、右側の三人は斧を持っています。描かれていませんが、真ん中の倒れた木の所には鋸を持った人が立っていますので、この木は斧と鋸で倒したと思われます。一番左で鋸を持っている人が、(受け口があるので)ちょうど木を倒そうと挽いています。上を見上げている人は、倒す方向を考えているのかもしれません。
 
 右の下で二人で斧で木を倒しています。明治になると伐倒用鋸が入ってきて、伐倒は斧と鋸とくさびでの作業が増えますので、その意味で斧だけで伐倒するという、貴重な画だと思います。現在では斧を使って伐倒することはないので、分からないかもしれませんが、斧は右からでも左からでも同じように伐ることができないといけません。野球のスイッチヒッターのような器用さが要求されます。この斧を木の狙ったところに当てることの難しさも思い描いてください。間違えると足を伐ってしまいます。この技がない人は山の仕事士にはなれないのです。もっと太い木になると三ツ目切や芯を焼く方法もあったそうです。この切り方は受け口を造って追い口を入れていく、チェーンソーで現代でもやられている方法と同じです。受け口と追い口の順番は、どこに倒すかによって変わることがあります。だから右上の人は一人作業をしていますので、どちらの口を造っているのかは分かりません。
 
 先ほど、明治になると鋸が入ってくると書きました。鋸そのものは昔からありますが、江戸時代には山で伐倒用の鋸が使われたという話は(使われたという話もあるらしいですが)聞いたことがありません。それはなぜなのでしょうか、分かりません。この話をするといつも聞かれる疑問です。埼玉県で山の展示を行っていた資料館の方とお話をしていた時、同じ事を聞かれたと話していました。鋸を造る技術の問題という話もありますが?
 
 鋸というと、この鋸は柄が長いですね。現在資料館などで見られる柄が曲がっている「手曲り」はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。
 
 右下の人が伐倒木の枝を打って(切って)います。伐倒用の斧は刃が薄いので、固い枝を打つときは少し厚めの刃の斧を使うところもあります。面倒だから、購入資金がないからと同じ斧で使う人もいるかもしれませんが、この画からは同じような斧を使っているようにみられます。そうそう、この人の左足の位置では足を伐りそうで怖いですね。上手(じょうず)はそんな心配をしなかったのでしょうか。危険なやり方ほど作業能率がよいという例かもしれませんが……。
 
 伐倒木が下を向いています。下に向かって倒しています。これについてはよく分かりません。一般的には上、斜め上に倒すといわれていますが、場所によってはその方向に倒せないので、下に倒すこともあります。また、この木が雑木のようなのでその関係であんばいのよい方向と言うこともあるのでしょうか。又、下の方の木を倒しているので、上の方から倒す方が多いが、その関係でこういう画になっているのかわかりません。

付録

  西多摩地方と埼玉県の西川林業地では明治以降ですが、木を伐採しながらサン(リン)に組んでいく、「リンギリ」という形で伐採をしていきます。つぎの写真をご覧ください。左奥に組んである形のように木を倒して、積み上げていきます。倒した木を数本並べて、皮を剥いていきます。皮を剥いた木はよく滑るので、驚くほど簡単に移動します。滑りすぎてすっ飛んでしまうこともあります。手前の方にあるのがこれから組むところです。真ん中より上に縦に(上に)倒れている1本の木があります。この木に向かって木を伐ると面白いように下のサン(リン)の上に転がっていくのを見たことがあります。マジックの世界のようでした。これぞプロと感激しました。
 昔の現場では何人もの作業員が一緒にこのリンギリを行います。上でもリン(サン)を組んでいますので、上下作業は当たり前でした。恐いですね。皆さん一度や二度は上から木が落ちてくる経験をしています。今では考えられません。
 ちなみになぜこのような形の作業になったかというと、木を早く乾かすつまり軽くするためでした。また次の「出し」の事を考えると、よくできているものでした。
 

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