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Forest Instructor Association of Japan

「明治伐木運材図絵」を通して明治の山仕事を読む8

執筆:羽鳥孝明氏(東京5-0145)

「明治伐木運材図絵」を通して

 
図1 さながしの図
 
図2 詞書き
いかだの流れぬせまい谷滝のある川では さながしにする。
鳶一丁にてたくさんの材木を運ぶのはやはり技術である。時には丸太の上を渡って向う岸へ行くようなこともあるのである。

  
 烏川上流の倉渕地方の話では、江戸時代の「河浦山御用木切出」の図会には川出しの事が書かれているが、ほとんどの方から「さながし(川出し)」経験の話を聞けなかったので、西多摩地域での聞書を参考に話をします。
 川で材を流すのは筏というイメージがありますが、川幅が狭くて筏の通行できないところでは、さながし(管流し(くだながし))という方法をとります。沢に流すからさながしでしょうか?丸太を管(くだ)のように一本ずつ流すから管流しなのでしょうか。一本流しという所もあるみたいです。単純に川流しという所もまたあるみたいです。
木の運ばれる場所が山から川へ代わるとき、ここでもお祭りをする(注)ようです。

(注) 「多摩川の筏流し」 平野順治(「山紫水明」という個人の報告書に連載していたものだそうです)

 山から落としてきた木を川へ入れるときは「土入れ」ということをします。「オイセギ」という神木を川に流します。伊勢神宮に捧げる木という意味だそうです。杣が削った二間の尺角に「天照大神」「八幡大菩薩」「春日大神」と書き、裏に年月日をしるします。その時は神主が祝詞をあげて、日傭(ひよう)に新しい印ばんてんを着せて、祝い歌を歌わせます。このような祝方は滅多にはやらなかったそうですが、簡単なことはやったそうです。西多摩の檜原村で昭和の戦争前では「土入れ」の前に御神酒を川に流して、みんなで飲んで作業の無事を祈ったそうです。このように、伐採前と川入前のと二回神様を奉りました。

 さて、この画であるように一本ずつ川の流れにのせながら、木のうまく流れないところに人を配置して竹の柄に鳶口を刺した「鳶(とび)」を使って木を流していきます。上の方の数人は川の狭まるところで、木が止まってながれを木で止めないようにします。流れがあっても所々に岩にあたり、木が斜めや横になり、後ろから来る木の流れを止めて、木がたまってしまうことが多くあります。そうなると大変なので、その前に流すようにします。画の真ん中の右端の人は滝のような所に木が落ちるので、落ちたあとにきちんと流れるようにします。

 鳶口で引っかけたり、柄の先に付いているケンという鉄棒で押したりして流します。鳶口を強く打って、木に食い込ませると木から鳶が抜けなくなるので、その案配が難しいのです。ケンで突くのもうまくやらないと木に当たっても滑ってしまって、思い通りに木が流れてくれません。

 柄が竹であるのは軽いことと水に濡れても重くならない利点があります。竹ですが、真竹です。
 
 柄の真竹は11月の、月のない日に取りに行きます。竹に一番水が上がっていない時だそうです。理想の竹は節と節が一尺のものが七ツある竹だそうです。その根を何cmも掘って採ります。真竹の根の部分は幹が空洞ではないのです。左の写真を見てください。右端の竹のように完全に穴がないのが理想です。オバケといいます。この部分にケンを差し込みますから穴が小さい方がよい、また、叩いたりつっついたりしますから、割れにくい、当然です。何本も採ってきておいて、まっすぐにして乾かしておきます。どの竹もまっすぐではないので、たき火の上で油が少し出るぐらいにあぶり、油をふきながら、まっすぐにしていきます。力を入れると竹はひびが入って割れてしまって使い物になりません。節の部分が手に当たると痛いので、そこを削ります。それを日陰の小屋かなんかで、乾かしながらストックをしておきます。使っていると、叩いたりして柄が割れたりするのでストックは必要不可欠でした。


柄の真竹

 写真はケンが付いた鳶です。

 
ケンが付いた鳶

 「時には丸太の上を渡って向こう岸に行くようなこともある」お正月に木場で角材に載っているのをニュースでよくやります。木場でいつもそのようなことをやっていたか解りませんが、木の上に乗って作業をしていたのは事実です。丸太より角材の方が乗りやすいように見えますが、実際は丸太の方が乗りやすいのです。丸太は重心が一定しているので、安定がいいそうです。昭和の時代になるとこのように丸太の上に誰もが乗れたわけではなかったそうです。「73でのるのよ、ハナ(前)をちょっとあげると石にぶつからないから大丈夫よ」と聞きました。川を丸太の上に乗りながら下ることもありますが、修羅や梁があるところはそのまま木に乗ったまま登ってしまい、修羅や梁から丸太が落ちる寸前に、自分も飛ぶと落ちた丸太の上に乗れるそうです。慣性の法則は解りますが、話を聞いただけでは理解不能でした。

付録

 この画には書かれていませんが、「河浦山御用木切出」の図会には、川の関係でいいますと「梁」「修羅」が描かれています。水をせき止めて流れに沿って並べた材の上(滑り台みたいなかんじで)を流れてきた材を水と一緒に流す仕組みです。実はこの図会に描かれている「梁」と「修羅」の違いが西多摩でやったのと違うので、よく分からないのです。西多摩で「割箸」で造った模型で説明をします。
 
 下の写真をご覧下さい。一番上にあるのが、修羅。真ん中にあるのが材を流しやすく造った、川道。その下が、梁になり、その下が修羅になります。構造的には似ていますが、梁は水を上に上げる形です。修羅は水を下に向けて流すかんじです。大岩があったり、滝があったりして、そのまま流すことができないところに造る構築物です。実際に流し落とす材を使ってつくります。結構な材を使うこともあります。それを鳶一つで、ひょいと上げて造っていきます。水が漏れないように苔や木の葉を詰めたり、なかなか大変なものです。私たちが実際に造ったものは水が漏れて、水が上手に流れなくて、なかなかスムーズに丸太が進みませんでした。
 



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