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Forest Instructor Association of Japan

宮城の海岸林防災林の復興状況と課題 2

執筆:相澤孝夫氏(宮城10-0685)

過去の記録に見る三陸海岸林の防災機能

 
 三陸沿岸への津波被害は、859年の貞観の大津波以降23の津波が古文書に記録されています。この記録は、1600年以前はほとんど見当たらず、大半は1611年以降のものとなっています。
 海岸防災林が果たす防災機能について、石巻市北上町長塩谷(ながしおや)における防潮林の記録を見てみましょう。長塩谷部落は、昭和8年に三陸津波により部落の24戸すべてが浸水、倒壊流失などの被害に遭ったため、昭和11年~12年に海岸防災林が造成されました。昭和35年には、昭和8年の津波よりも大きいチリ地震津波に襲われました。このとき、海岸防災林は24年生、林帯幅20m、面積2.14㏊で前側に100mの防潮根止護岸が築かれていました。部落内の家屋57戸への被害は床下浸水のみ、被害率は56%と効果を発揮しました。




 この頃から、県内各所において津波による海岸防災林の効果などが記録されるようになりました。これらの記録から昭和20年代に海岸防災林の効果は次のようにまとめられています。
①林帯が密な箇所の後方は津波の破壊力が滅殺され、家屋の倒壊、流失が防止または軽減された。
②防災林によりカキ筏といった水産資材や木材等の浮遊物を阻止して被害の増大を防止した。
③防災林によって海岸線の砂地浸食が防止された。
④引き潮は防潮林の方向には流れにくく林帯が密なほど被害が少なかった

 昭和8年の津波被害の後、国では津波対策事業を興すため、東大名誉教授の本多静六東大名誉教授らを三陸地域に派遣しています。
 残念ながら、この長塩谷の海岸防災林は2011年の津波襲来前には、畑に転用されていた箇所もあり、機能を十分に果たすことはできなかったと思います。海岸防災林は造成後津波被害がしばらくないことなどで長い時間を経ると、人とともに環境も変わるので、防災機能を継続発揮していくためには、語り継ぎなど地元民の意識の維持が必要だということがわかります。
 
 
1933年(昭和8年)6月
本多静六東大名誉教授らによる三陸地方防潮林造成事業調査班


千年に一度の巨大津波において海岸防災林の果たした役割

 
 さて、海岸防災林は2011年の未曾有の巨大津波に対してその役割を発揮できたのでしょうか。
 被災直後にマスコミから報道された海岸防災林の評価は、大まかに、被害は“軽減された”、“増長された”の二種類がありました。被害が“増長された”、とするものは、根元から引き抜かれ、または折れたクロマツが津波とともに建造物を破壊した、というものです。また、ある高名な方によるタブノキであればマツのようにはならなかった、と根拠のわからない話題が多くのマスコミに取り上げられました。
 しかし、多くの研究者により調査・報告された結果は、海岸防災林が巨大津波を最先端で受け止め、津波の破壊力は減殺(げんさい)された、というものでした。今では、インターネットで「海岸防災林による被害増長」を検索してもほとんど発見できない状況となりました。
 海岸防災林が発揮した効果は、津波の規模、後背地の家屋や道路の状況、海岸防災林そのものの構造などによって一様ではありませんでした。林帯幅、樹高、胸高断面積、立木密度、枝下高など林分構造の違いなどにより、被害軽減の程度には差があったと思います。

 石巻市渡波にある長浜海岸防災林の東隣りに松原町があります。松原町は東日本大震災の津波により国内で最も死亡率が高かった集落です。
 長浜海岸防災林の林帯幅は約200mで、立木の被害率は約70%でした。林分の周囲は宅地が密集していましたので、津波が襲来した方向から海岸防災林の背後地とそうでない区域に分けることができます。
周辺の家屋の流失率は、防災林のないところで52%、防災林の背後地で22%でした。家屋の全壊率の割合は、防災林のないところで75%、防災林の背後地で25%でした。
2011年(平成23年)5月
被災2ヶ月後の長浜海岸防災林

 このように海岸防災林の効果は大きいものでした。海岸防災林の背後地では、すでに住宅や商店が再建設され活気を取り戻しつつあります。長浜の海岸林は今でも、被災したままの状況で残っています。いずれは植え替えられると思いますが、機会があればご覧ください。
 ちなみに、長浜海岸防災林は昭和7年に造成が開始されました。近くに万石浦という730haの内海があります。1960年までは塩田として、それ以後は潮干狩り、海苔やカキの養殖を行っておりました。また、長浜ではイワシの干物を製造していました。このため、昭和7年の造成目的は津波対策ではなく、万石浦への堆砂や生産物の品質低下を潮害や飛砂から防ぐためでした。
 このように減災効果が認められる海岸林ですが、海岸防災林を造成した後に、都市計画により工業港や宅地となった箇所も少なくありません。その場所は被害が大きく、複雑な気持ちです。

1859年(安政6年)頃の石巻港の絵図 
クロマツ林が見られる (石巻グランドホテル所蔵)
1932年(昭和7年)頃
石巻市長浜の海岸林造成
堆砂工(風の力を利用して前砂丘を造成する工法)の堆砂状況
砂丘が完成するとその後背地にクロマツなどを植栽する
1933年(昭和8年)頃
石巻市長浜の海岸林造成
植栽後の状況





地域により異なる復旧状況

 
 もうじき仮設住宅が撤去されます。人口が多い仙台市、石巻市や気仙沼市の中心部は、復旧進度が高く、逆に人口の少ない地域はまだまだこれから、と地域で大きな差があります。
 被災地には陸地が海になってしまったところも少なくありません。元々あった土地は全て元通りに復元するということを最近知って驚きました。何度も通った石巻市長面(ながづら)の海岸防災林も海から陸地に復元しているところですので、紹介します。
写真は造成、被災、復旧の状況です。人家や農作物を潮害等から守るために地元住民の助けを借りて造成された海岸林ですが、2011年の津波で跡形もなく消えてしましました。個人的に思い出がたくさんある海岸林でしたので、なくなったときはあっけにとられました。さらに驚いたのは、海になったところも土のうを積んで排水、土盛りして海岸林、農地、道路を復旧させていることです。筆者は勤務先から、この地区の方々の避難所に何度も支援で訪れました。何かの縁があったと思っています。
 ちなみに、多くの児童と先生が避難途中で流されてしまった大川小学校は、長面に行く途中にあります。

長面の海岸の変遷

 
1947年(昭和22年)
海岸防災林造成前
1969年(昭和44年)
クロマツ林17年生 
 2002年(平成14年)
クロマツ林50年生
 2011年(平成23年)被災直後
海になった海岸防災林
 2016年(平成28年)
土のうや盛土により原形復旧中
(植栽前の状況)
 
 
 次回は、海岸防災林の造成、クロマツと広葉樹の活着の違いなどについて報告いたします。


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