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Forest Instructor Association of Japan

東京・西多摩式運材図絵 5(最終回)

 〜最後の木屋師・久保田喜助の技〜

執筆:羽鳥孝明氏(東京5-0145)

川流し

 昔は川が運材の主要幹線だった。
 今は陸上の交通網が発達しているので、川が運送の主要路だったことを忘れられている傾向がある。もう一度「川について考える」「川から見える歴史を考える」必要があるのではないか。
 さて、私たちが活動した檜原村では、川幅が狭いので筏に組む事は出来なかった。そこで、1本1本、材を流す方法がとられた。それを「管(クダ)流し・川流し」といっていた。
重くて大きい材を引きずるよりは、川に流したほうが早いのは想像できるだろう。ただし、川はまっすぐで、平坦なものではない。材が流れやすい所は問題がない。くねくね曲がる、底が浅い、岩がある、よどみがある等と、そう簡単に流れてくれない。そういう場所が随所にあった。
 材が流れない所では、木屋師たちが竹鳶(タケトビ)を持って、材を流していく。毎回流す川では、どこで材がたまるかは経験上知っている。そこに人を配置して、手際よく下へ流していく。器用な人は材の丸太に1本或は2本に乗って、たまったりしている材を突ついて下っていく。ヤナやシュラの掛けてある所では、材に乗ったままその上を流れていく。小さな瀧などの段差のある所では、手前でジャンプをして、下に落ちた材の上に降りたそうだ。何回聞いてもこの話は信じられなかったが、実際に行なっていたらしい。
 大きな岩がある所などでは、ヤナやシュラを作る。堰を作って水かさを増やして、岩の上に山シュラのような物を乗せる様に造って、その上を水とともに材を流す。ヤナもシュラも、堰を造って、水をためるのが大変な作業だった。丸太と丸太のスキマに、苔や木の皮をつめて、水を堰き止める。いうのは簡単だが中々水は留まってくれない。
 堰の大がかりな物は鉄砲堰の様な物になる。鉄砲(堰)は戦後1度やって、終わりになったそうだ。
 鉄砲堰も地域によって規模も違えば構造も多少違う様だが、この地ではあまり大きな物はなかった。堰の水を流す「窓(放出路)」も、その中を筏が通ることが出来るぐらいの大きな物の写真を、よその地ではあったらしい。また、「窓」の中に材を流す事もあったらしい。この地では「窓」の大きさは一尺四方でやっていたが、戦争中に人手が足りなくなってから、1間四方で行う様になったそうだ。窓が大きい分、流れ出る水の量が多いので、材はよく流れるが、材が暴れて流れてくる。音も大きく恐いようだったという。
 鉄砲の堰の横にシュラを掛けて、たまった水に流れてきた材を落としておく。下に落とした材を流れやすいように並べておく。そこへ一気に水を放出して、材を下へ流していくのである。流すといってもそれほど水位が高くなる訳ではない。尺、30cmにでもなればよい方だそうだ。所々に人を配置し、材がたまりやすい所に、トビを使って下へ流していった。何kmか何百m下にも同じように鉄砲堰・ヤナ・シュラを造って、同作業の繰り返しをしながら、材を下へ、下へと流していった。製材所のあるところ、筏を組むところまで流していった。
 このような川流しも、トラックという輸送手段の出現とともに消えていったのであった。


付録


ヤナとシュラ。上にあるのがヤナ。下にあるのがシュラ。構造的にはほとんど同じで、説明を何回も聞いたが、よくわからなかった。(模型)


鉄砲堰。上流から見た所。下の四角いところが窓。窓はこの後閉じる。すると水がどんどんたまっていく。左の上か右の上に、シュラを付けて川上の材を下に落としておく。(模型)

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